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ロラン・バルト『旧修辞学 ー便覧ー』

 

旧修辞学【新装版】

旧修辞学【新装版】

 

 本書は、フランスの哲学者であり批評家であるロラン・バルトが刊行した『L'ANCIENNE RHÉTORIQUE:AIDE-MÉMOIRE』の全訳版です(沢崎浩平訳)。『エクリチュールの零度』や『テクストの快楽』等の有名な作品に比べると、いささか地味で影の薄い作品のように窺えます。

著者は、修辞学を、紀元前五世紀から十九世紀まで西欧に君臨したメタ言語(対象言語:《弁論》)と定義した上、これを通時的方向(コラクス・ゴルギアス~アリストテレス~キケロ~クインティリアヌス~それ以降)と、体系的方向(発見、配置、表現法)から踏査することで、修辞術を、弁論を生み出すためのプログラムとして考えることを提示します。注釈を除けば158頁と比較的コンパクトな内容ですが、著者の博識と独特のレトリックをもって語られることから、読解に難儀する部分も少なくありません。もっとも、各トピックにおいて現代訴訟法の体系と重ね合わせたり、法廷シーン等を具体的にイメージしていくことで、余白を楽しみつつ読み進めることが出来るようにも思われます。

とりわけ印象的だったのは、著者が、アリストテレス修辞学と(多数決)民主主義との強い結びつきについて要所で確認している点、また、それによって暗に修辞学的三段論法の一種の暴力性に言及しているように感じられる点です。

”それ(注:アリストテレス修辞学)は…あらゆる(歴史的)差異を考慮にいれるならば、われわれの時代の大衆文化と称せられるものにうまく適合するであろう…それは、周知のように、中産階級を主体とする均衡の取れた民主政治に都合がよく…”〔A・4・3 真実らしいこと〕
”彼(注:アリストテレス)には、解釈学的な(暗号解読)の観念は全然ない。彼にとっては、情念は、すっかり出来上がり、そして、弁論者が、単にそれを知りさえすればいい、言語活動の断片なのである。そこから、本質の集合ではなく、世論の寄せ集めとしての、情念の格子という着想が生まれる。アリストテレスは、(今日、優勢な)還元的心理学の代りに(それに先立って)言語活動を区別する分類的心理学を採用したのである”〔B・1・29 感情〕
”アリストテレス(詩学、論理学、修辞学)が《マスコミュニケーション》によって送られる、説話的、弁証的、論証的、全言語活動に、(《真実らしさ》の概念を初めとする)完全な分析用格子を提供しているという明白な事実、彼が、応用科学を定義し得る、メタ言語と対象言語の理想的な同質性を体現しているという明白な事実から、どうして眼をそむけることができようか”〔結語〕

生の事件は、その当事者にとって常に個別具体的であるため、今日の弁護士が、その事件の原因を突き止め、実効的な解決に臨むには、まずもって当事者心理の解釈学的分析を丁寧に行うことが求められますが、裁判とは原則として社会通念に基づく判断のプロセスであることから、裁判手続に移行する際には、上記の解釈学的心理の分析を(アリストテレスが採用した)修辞学的心理の俎上にスライドさせる必要が生じるところ、ここでも弁護士の力量は大いに試されることになるように思われます。換言すれば、上記のとおり、アリストテレスは解釈学的観念を排斥していたが故、これを出発点とする場合、著者が明らかにした修辞術のプログラムだけでは解決することのできない踏み込んだ技術、まさに今日優勢な思想ゆえの現代的技術が必要となるように思われるのです。

著者が本書を記した主眼は、「テクストの、エクリチュールの名の下に、言語活動の新しい実践を要求する」こと、すなわち著者が志向していた言語活動の布石を打つにあったと考えられますが、それは翻ってアリストテレス修辞学の強固で精緻な構造と輪郭、さらに言えばそれ故の暴力性と共に、その構造から排斥されていたものまでを明らかにすることにつながったように思われます。

著者が志向していた言語活動の新しい実践は、そもそも弁護士には求められておりませんが、とは言えその主たる役割の一つに「弁論」活動があることは言を俟ちません。既存の修辞学の構造ひいては現代的なそれを適切に把握し、実践的に用いることで弁護技術の向上を図ることができるよう日々精進したいものです。